チェーン・スポーキング

カルチャーずるずるモノローグ

19年1月:演劇初心者が今年前半で気になる舞台を整理する

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年末に煩悩を全部削ぎ落とし、年始から全煩悩をフル稼働させている。

演劇と映画への欲が強く、特に演劇は熱い。演劇だけで土日が埋まりそうだ。

ただこういう「土日が埋まりそう」な状況に、彼氏があからさまに顔をしかめそうなのだ。対策として、とりあえず直近で観たいものをピックアップし、言われる前に送りつけておいたのが今である。

 

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「行けたら一緒に行こうよ(一人でも行くけど)」と。

ただ、そのメモ書きが思いのほか役に立ちそうなので、ブログでも残そうと思う。

 

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▼実験舞踏 vol.1 R.O.O.M

2019年2月21日(木)-2月24日(日)@吉祥寺文化シアター

 


新潟の芸術文化会館を拠点に活動してる、日本初の公共劇場専属舞踏団「Noism」っていうところの新しいプロジェクト。国内外のオーディションで選ばれたダンサーが新潟に移住して、年間を通し活動してるらしい。ポスターデザインが好き。それから劇団のあり方が面白いうえ「拠点が新潟」ってだけで気になる。

 

▼「OPUS No.10」OM-2

2019年2月22日(木)-2月24日(日)@下北沢ザ・スズナリ

OM-2 |


真壁茂夫さんが80年代に結成した「OM-2」っていう劇団の公演。ずっと観てみたかった。あと単純に出演者の「佐々木敦」さんが大学の教授と同姓同名だったので、気になった。調べたら別人だったものの、なんか良い顔してる俳優さんだったので、観てみたい。

 

▼「桜のその薗」 はえぎわ 

2019年1月31日(木)-2月6日(水)@下北沢ザ・スズナリ


見たことのある名前の役者さんがいて、気になっている。アタリだった舞台の折込でチラシが入っていたので、直感的ではあるものの「なんか面白そう」と。

 

▼劇団子供鉅人 家公演「SF家族」

2019年4月1日 -4月29日 @目黒rusu


観客毎回15名限定の一軒家でやる公演。
今回は倍率高いだろうし、もっと言うと、逃したらしばらく見れなくなっちゃいそう。とりあえず返信待たずに、チケットは2人分取りますね。2/8〜チケット発売。

 

▼範宙遊泳「うまれてないからまだしねない」

2019年1月31日(木) -2月3日(日) @本多劇場


もうチケット取っちゃいました。

あとチェルフィッチュの「スーパープレミアムソフトWバニラリッチソリッド」も取っちゃいました。スマセン。

 

▼無隣館若手自主企画 vol.27 曽根企画「恐るべき子供たち

2019年1月31日(木) - 2月11日(月·祝) @こまばアゴラ劇場

無隣館若手自主企画 vol.27 曽根企画| 2018 – 2019プログラムアトリエ春風舎|公演案内|こまばアゴラ劇場

 

無隣館というのが、こまばアゴラ劇場平田オリザ青年団による、演劇の若手育成プロジェクトらしい。ジャン・コクトーの再構築というので、これを機に原作をちゃんと読まにゃあと。なぜこの作品を舞台化するかが気になる。

備忘録 2018

 

せっかく真夜中の使い方を覚えた一年だったので

例年とは少し項目を変え、音楽に寄せたうえで、自分なりの「2018年」を振り返る。

 

【飛んだライブ:3選】

音楽関連のイベント、大小数えてトータル100件以上通っていたことが発覚。

財布のことは考えないようにしている。Leroy Hutsonのビルボードライブや、GORILLAZの幕張ワンマン、リキッドのNils Frahmやkaytranadaも良かった。

 

#FKJ @TAICOCLUB '18(こだまの森)

FKJの世界観を引き出すクールなVJと、心地よくフロアを横に揺らすメロウサウンド。視覚と聴覚の両方を刺激してくるあたり、「TAICOCLUB」としての最期にふさわしいステージだった(今年も別名義でやるらしいケド)。深夜、極寒のなかで聴いたサックスソロがずっと耳に残っている。

 

#The XX「I See You Japan Tour」@幕張メッセ

2017年のフジロック以上に美しかった。ロミー・マドリー・クロフトとオリヴァー・シムのハーモニーにはクラクラしたし、ジェイミー・スミスのDJも鬼気迫るものがあった。幕張のようなデカい空間で彼らのパフォーマンスを観れて、すごく贅沢だったなと。

O.AのD.A.Nも恐らく史上最大規模のステージだったろうに、堂々としていて素晴らしかった。D.A.NとThe XX、すごく良い組み合わせだよなあとつくづく。

 

#PREP「PREP JAPAN SHOW 2018」@代官山UNIT

彼らがその前日に出ていた韓国のフェスでは「Cheapest Flight」の大合唱が起きたと聞いていたが、近辺で歌ってる人がおらず、一人で勝手に歌ってた。レベルの高いパフォーマンスが観れただけに、ちょっと悔しい(次のツアーで日本は経路から外されちゃったし、、)。個人的には「ここまで楽しいLIVEがあるものか!」と終始キャッキャしており、まあ〜踊り狂って大満足のライブだった。ちなみに終演後にサインをもらったアナログ盤は、ずっと家に飾っている。家宝。

 

 

【泡を吹いたアルバム:3選】

今年、難しいんだよナ…。もっと選んでいいなら、中村佳穂『AINOU』とMimeの『Capricious』は入れてる。折坂悠太然り、一時代始まったような感じがしたから。サニーデイ『the CITY』も良かった。トム・ミッシュも。HONNEも。MNEKも。一番悩んだ3選。

 

#『平成』折坂悠太

悩みに悩んで結局、邦楽は『平成』がベスト盤だったんじゃないかと。飄々とした「坂道」から豹変する「逢引」の流れがもう最高で。何より、久々にジャズ×和モノの表現に秀でた人に出会えたことが嬉しい。

それにしても、2018年は弾き語りが豊作だ。

 

#『BALLADS1』Joji

文句無しに良い。1曲目がキツい音割れをしてて、「チープな感じだなあ」とナメてかかっていた。が、「SLOW DANCING IN THE DARK」や「TEST DRIVE」など、聴けば聴くほどめちゃくちゃ繊細な音のレイヤーを用意してて気持ちいい。そして3~4周くらい聴き返すと、気づいたら1曲目のノイズが気持ちよくなる。

ちなみにYoutubeで珍曲「セックス大好き」が物議を醸すPINK GUYとJojiは同一人物らしい。ダイノジ大谷さんと音楽ライター・柴さんのトークショー(NEWTOWN)で発覚したのだが、2018年で一番ショックだった。

 

 #『Be Well World』LEO37+SOSS

2017年12月末リリースなんだけど、聴いたのは2018年だからいいか(ていうかこれを紹介しないと気がすまない)と思い、無理やりねじ込んだ。ジャズやファンク、ヒップホップ、レゲエ要素がふんだんに盛り込まれた名盤。ちなみに今年Spotifyで一番聴いたアルバムはtofubeatsの「RUN」だったが、一番聴いた”声”といえば「Be Well World」にも参加するディーバ・9m88(ジョウエムバーバー)の声だった。 アジアが引き続き面白い。

 

【震えた舞台:3選】

観れば観るほど沼が深い。2019年も引き続きハマっていきそう。ロロの「いつ高 vol.5 いつだって窓際でぼくたち」や、池田亮司「concert pieces」も面白かった。範宙遊泳の「#禁じられたた遊び」は女優・油井文寧がすごかった。。

 

#『ベートーヴェン交響曲第5番「運命」全楽章を語る』森下真樹

 MIKIKO振付家)・森山未來(俳優)・石川直樹(写真家)・笠井叡(舞踏家・振付家)が楽章ごとに振り付けを担当、今西泰彦のピアノ伴奏をもとに、ダンサーの森下真樹が踊るという新しい試み。もはや「運命」への抗いというより、ピアニスト・振付家・ダンサーのガチンコバトルを観ているかのようだった。第四楽章に至るまでのカタルシスと解放感よ。

 

#『BOAT』マームとジプシー

ずっと涙がとまらなかった作品はマームとジプシーの「BOAT」。ストーリーが、というよりも言葉(セリフ)の使い方と舞台演出、役者たちの演技の総合的なバランスが美しくてグッときた。テンションが上がってブログにも残している。

 

none67.hatenablog.com

 

#『ツアー』ままごと

 急加速し、一気に張り詰めていくオープニングと、緊張の頂点から少しずつ融解していく空気。そのコントラストを役者全員が共有し、調律が保たれていてすごく心地がよかった。特に女優・小山薫子の演技が素晴らしい。。再演があるなら、もう一回観たい作品。

 

【やられた展示:2選】

オペラシティの企画が肌身に合っていて、珍しく「箱推し」の1年だった。会田誠の「GROUND NO PLAN」や、ダニエル・アーシャムの「アーキテクチャー・アノマリーズ」も面白かったなあ。

 

#PEEKABOO TOMOO GOKITA @東京オペラシティアートギャラリー

 TOWA TEIのジャケットが有名な五木田智央の展示。とにかく作品がデカく、かつ画力が高い! 抽象的に対象を捉えつつも一部分がすごくリアルなところは、フランシス・ベーコンに近しいなと初めて気づく。実物を目にしないと分からないパワーがあるものだと実感。美術館で大判ポスターが欲しいと思ったのは初めてかもしれない。

 

#谷川俊太郎展@東京オペラシティ アートギャラリー

谷川俊太郎さんの言葉が壁という形で実体化し、襲いかかってくるような力強い展示。普段自分が本を通して詩を楽しむときの衝撃が、形となり再現される感覚。言葉を展覧会にするというのもまったくもって面白いのだなとウキウキした。

ちなみに、今年一番感動した読み物は、80行の詩が記された「傘寿を祝う」という手紙型の書物。ナナロク社から発行されている本作、2012年に谷川さんの誕生日会で配られたというレア・グルーヴだ。PREPのサイン盤と同じくらいに重宝する。

 

【エロかった食:3選】

今年もセクシーな飲食店に恵まれ、お陰様で体重が増えた。表参道のそば屋「しろう」や祐天寺「しとらす」、代々木上原の「dish / tokyo gastronomy cafe」もフェロモンがすごかった。

 

#クンビラ @恵比寿

ネパール料理の名店。どれを食べても旨味(UMAMI)が満載。かつ健康になれそうな味がする。依存症の危険もあるので注意したほうがいい。はじめは「香辛料満載かな」と予想していたものの、案外ヨーグルトが効いた優しい味がする。ちなみに絶対にオーダーしてほしいのは、鶏肉がホロッホロに煮込んであるヒマラヤ鍋。これを食べないと帰れないし、絶対帰さない。

 

#シモン @麻布十番

タッカルクッスという薬膳鍋が美味しい韓国料理店。麻布十番らしからぬ内装なのと、価格帯が割と良心的なのもあって、フラッと入れるから嬉しい。クンビラのヒマラヤ鍋と地続きのような見た目だが、とにかく優しい味で、とろとろのじゃがいもともちもちの麺がタマラン。胃が弱いとき、這ってでも行きたくなる。

 

#珈琲美学 @長野県松本

長野のピースフルなフェス・りんご音楽祭にて、朝ごはんを食べるべく来訪。オムレツやトースト、サラダなど100円台の小品メニューがズラッと並んでおり、自分のお腹具合と相談しながらプレートの内容をカスタマイズできる(Ex.トースト+ジャム+オムレツ+サラダ+茹で卵、など)。どれを食べても最終的に「超ハッピー」になれるが、特にオムレツがぷるっぷる。危うく昇天しかけた。

 

【ニヤついた雑誌:2選】

dmagazineを登録したのもあり、いよいよ「紙で読みたいかどうか」という購入の判断基準が明確になってきた。

 

#FREE MAGAZINE「PERSONAL」

代々木上原セレクトショップで見つけた、Hyukohが表紙のフリーマガジン。フォトグラファーに花代、YUAN YAOなどの錚々たるメンツを揃えた、半端なく「エグい」内容。デザインや写真の使い方、スタイリングなど、海外のインディペンデント誌っぽさがある。ていうか、日本にこんなに良い雑誌があったんだなと。久々に読みながらニヤニヤする雑誌だった。

 

#STUDIO VOICE「いまアジアから生まれる音楽」

いつかアジアのクラブを訪れ、現場がどうなってるかを知りたいな〜!(よしんばそこの同世代たちと多国籍なコミュニティを作りてえな〜!)と妄想していたら、先にやられた。やられたというか、一枚も二枚も上手なものを作り出してて悔し死ぬかと思った。各人のインタビューも面白い。

一番オッとなったのはSpotifyのプレイリストによるレコメンド。全部オートマチックに勧めてくれる世の中で、雑誌や選曲のコメントを読みながら、各著名人のプレイリストを聴く体験ってすごく贅沢だなと。ていうか、これCDに付いてくるライナーノーツの追体験でもあるじゃないか。

 

【新しい活動】

文字化するとより分かる、あまりに怒涛だった1年。

 

# SOKUJITSUを始める

8月頃に突如始めた、企画チーム結成〜メディアローンチまでを1日で終わらせるプロジェクト。「一緒に何かを作りたい相手はいっぱいいるんだけど、長期プロジェクトにして毎週拘束するのは申し訳ないしな〜」という悩みと、「色んな人からアイディア盗みたいな〜」という下心から始まった。毎回吐きそうなくらい辛い。ここまでキツいと知ってたら、もっと楽なルールを設定していた。でも楽しい。楽しい地獄である。これからも引き続き、面白い人たちをナンパしていこうと思う。

 

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#転職する

「手を動かしてメディアを作り、情報を発信する」という作業を通して、何かが吹っ切れた気がした。気づいたら今の会社に誘われており、気づいたら上長に退職の相談をしていた。

なぜか色んな人から「意外」と言われるが、前職の環境は本当に好きだった。せっかく辞めちゃったので、今年はもっと無茶苦茶なことをやっていきたい。

 

#フェスの運営に入る

無茶苦茶なことといえば、本業と並行し、上野の野外ステージで「SHAKE HANDS」というフェスの運営に関わった。主に関わったのはPR/広報の領域。悩むことや反省は多かった。

ただ当日、自分の好きなアーティスト達を前に、オーディエンスが体揺らしてるのを見て「次はどういうのをやりたいかなあ」と。次が楽しみだ。本当に。

 

【総括と今年の目標】

休日を無茶苦茶な使い方をすることが増え、我ながら身を削ったと感じる1年だった。ただ、もっと楽しめる気しかしなくて、せっかくだったら何でも口に入れて、ときにぶっ倒れるくらいまで暴食を続けたい限りである。

今年は「とりあえず食べてみる」を目標に、自分の「管轄」とやらを取っ払う動きをしてみようと思う。それから「書く」だけではない発信手段を積極的に取り入れていきたい。今はイベントの運営に一番興味がある。

 

ちなみに映画は「カメラを止めるな」がダントツだった。そこまで映画をたくさん観れてなかったので、今年は割愛する。悔しい。。

18年9月:「スローライフ」の行方を考えつつ自省する/ポートランド備忘録

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訪れた場所については前回と大して変わっていないが、前回と同じ動きをしたからこそ、分かったこともある。出来るだけ「新たな気づき」を残そうと思う。

 

[Place]

 

ポートランドは、川を隔てて東と西で文化が分かれている。
西側はいわゆるビジネス街で、ホテルや金融ビルが立ち並ぶ一方、西側は言うなればシモキタや高円寺みたいなもの。ヴィンテージファッションやレコード、ライブハウスなどのカルチャーが密集している。

数年前に行ったときの記憶と大きく違ったのは、ノースイーストエリアのAlberta St.(アルバータ通り)に「FOR LEASE」が目立つことだった。


かつて「徐々に活性化していく」可能性を示唆したエリアだったが、そこから横に店が広がるわけでもなく、同じ店が同じ場所に留まっているだけだった。

前行った時にairbnbのホストが言っていた「家賃がどんどん高騰している」という言葉をふと思い出す。

 

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ちなみに濃ゆいジェラートが有名なSalt&Straw(ソルトアンドストロー)や、フライドチキンをサンドした暴力的なブランチを楽しめるPine states Biscuit(パインステートビスケット)など、数年前に訪れて感激したようなお店は大盛況。以前訪れた時には経験しなかったような行列が出来上がっていた。食にうるさいポートランダーや観光客がこぞって認め、噂が噂を呼んでいる模様。ただ、食に関するニューカマーは未だ現れないようで、まだまだ玉座から引き剥がすことはできないらしい。

※ちなみにガイドブックを読んで気になったのは、やけにアワードを取るレストランがダウンタウンに密集していること。しかも、カジュアルなお店よりもシックなお店に注目が集まっているような。食が徐々にラグジュアリー化していく印象だった。

 

一方で、平日でもおしなべて活気があったのは、サウスイーストと呼ばれる地域にあるHawthorne Boulevard(ホーソン・ブルーバード)という通り。

 

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数年前にあった古着屋はほぼ健在、かつ、「古着屋エリア」自体も拡大していた。うまいコーヒーは西側でも飲めるが、イケてる古着はホーソンでしか手に入らない、というステータスが確立されている様子だった。

 

[Traffic]

 

また「これは新しい!」と思ったのは、人々の移動手段。米国で流行しているLimeBikeを活用する人が多い。

 

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もともとシェアサイクルの文化ではあったものの、街を歩いていて特によく見たのは、このキックボード型の電動バイクに乗っている人たちだった。アプリでピッとタッチして、そのままピューっと乗っていき、好きなところにそのまま乗り捨てできる。若者だけではなく、スーツの男性や上品めのおばさんとかも活用していたのは面白かった。健康志向というよりは、移動手段としての利便性を取っているのだなと。

 

それにしても、新しいものやサービスをスッと受け入れる、街の人の吸収力はすごい。

 

[Stay]

 

なお、今回の目玉は観光というよりも「居住」だった。ACE HOTEL(エースホテル)に滞在するという以前からの夢がとうとう実現した。

 

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普通のホテルと大きく異なる点は、アメニティと呼べるものが無く、最低限の家具だけで部屋が出来上がっていること。
家具や内装をこだわり抜いた過程が滲み出ていて、理想的な暮らしのロールモデルが、部屋のデザインから浮かび上がってくるのが面白かった。この机とこの椅子なら、こんなモノを食べるだろうしこんなモノを着るだろう、といった具合に。

 

ただ、そういった指南に対して「まだそんなこと言ってんの?」という感覚はどうしても拭えない。
先述の「人気店は大盛況」の話もあるが、ポートランドの「スロー」が、文化の発進という意味で、悪い方向に向かっているような気がする。
NYが目まぐるしく新しいもの、よりよいモノを生み出す場所なのに対して、ポートランドは当たったものを集中して伸ばしこむような感覚。まさか空港にスタンプタウンがあるとは思わなかったし、こんなところにまで?という場所に有名な紅茶ブランドのSteven Smith(スティーブン・スミス)が蔓延していた(便利だったけどさ!)。

 

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一応言っておくが、別にポートランドを責めているわけではない。
どちらかというと自分の変化のせいもある。

ポートランドは、昨年観たジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」という映画を彷彿とさせる。毎日詩を書きながらバスの運転手をする主人公の一週間を描いた、「終わりなき日常」系の作品である。

 


『パターソン』本予告 8/26(土)公開

 

「同じことを繰り返していると、ちょっとしたことでも特別になる!」と言ってる暇は、私自身には既になくなっていて、むしろ目まぐるしい毎日から短期間で成長することを是とするようになっていった。結果、街の小さい機微(例えば、コーヒーや紅茶、ジェラートの次に何が来るか)に気づけなかったのは悔しかった。


同じカテゴリが伸びる街というよりも、特定の文化がいきなり生まれるタイプの街だったにも関わらず、「次に何が来るのか」のアンテナが張れなかったのは、今回の旅の反省点である。

 

とはいえポートランドのカルチャー水準が、未だにめちゃくちゃ高いことだけは肌身に感じた。毎秒何センチ、という微妙なスピード感で、ちょっとずつ街のトレンドは動いているはずなのだ。なにせ、吸収の早い街だから。

 

自分の責務として、また数年後、定点観測的に訪れたいと思う。

 

[SOKUJITSU]

 

ちなみに、結構前回のポートランドおすすめスポットガイドが好評だったので、今回の旅をパンフレットにまとめるつもりです。誰か助けて。

 

18年9月:風邪に苦しみながらセクシー熟語山手線ゲームをする

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つらい。関節が痛い。

 

嗅覚が奪われて、食が進まない。

何も食べたくなくて、強いて言えばさっぱりしたものを喉に通したい。

自然と選ぶのは、ゼリーとか果物とかプリンとかの類になる。空腹にもならなければ満腹にもならないものだけを、ここ数日食べている。

 

熱が出ると生憎「寝る」以外の治療法が無く、起きては寝て、寝ては起きての繰り返しになる。

 

そうなると、やることといえば寝ながら出来ることーー例えばTwitterとかFacebookとかYoutubeとか、スマホで完結し、かつ頭を使わないものになってくる。ひたすら「都内で3ポンドステーキが食べられる店」を探しまくったり、ラーメンYoutuberのチャンネルを初回から飛ばし飛ばしで観たりしていた。

 

ただ、人間何も考えられない環境に置かれると、だんだん頭が悪くなってくるようで、思考のリズムみたいなものが、だんだん単調になる。

 

通常時なら変拍子くらいは打てるものが、ここまでHPが下がるとなんかもう、かろうじて手拍子だ。ビートを刻めない。裏打ちができない。

 

そこで始まったのが、掲題のゲームである。

 

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ことの発端といえば、自分の熱を計った時だった。

 

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微熱である。ここでふと思った。

「微熱ってどこからが微熱なんだろう」。

というのも、自分は体温が異常に低く、平均35度台、たまに34度台も記録するほどの「アツくなれない人」なのだ。

そこからすると37度って結構高いのだ。これを微熱として片付けるのがもったいなくなってきた。

 

Google先生に聞いてみたところ、どうも結論、上記の場合でも「微熱」らしい。平均体温に関わらず、37度台が微熱の定義、とのこと。

 

ふと思う。

 

微熱って、めちゃくちゃエロい響きだな、と。

 

微熱という言葉のもつ気だるさたるや。

健康と病気のちょうど真ん中で、身体に不自由は無いのに熱だけを帯びているとは。エロい。エロいぞ。MOONCHILDが題材にしているくらいだ。

 

よく人に惚れた時の表現に「熱」は出てくる。興奮した時に帯びる熱が恋愛感情と直結してるのか、見つめる時は「熱い視線」だし、口づけも「熱いキス」になるし、触れられれば「(熱で)溶ける」。恋愛は温度感高めの行為なのだなと実感する。

 

逆に、この恋愛感情に近しいもので、ギリギリ恋愛に関連しない熟語をピックアップすれば、それなりにセクシーになるのではなかろうか。

その中でも、石田衣良先生もW村上先生も取り上げていないような「マイナーセクシー」な熟語を選びだしたら、ノーベルやんちゃで賞(スチャダラパー)も確実である。

 

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「夢遊」

ウキウキというか、ふよふよしてる気分である。

 

「焦燥」

焦がれてるし、焦るし。

 

「狼狽」

「けものへん」が二つ並んでるあたりが。

 

「咀嚼」

ちょっとフェチっぽいところが。

 

 「融解」

物体が溶ける温度が融点で、融解はモノが熱で溶けること。ちょっとダイレクトすぎるか。

 

 

ちょっとずつ近いところから遠いところへ離れていくと、恋愛というよりも趣向の域に至るのが面白い。ただ、悲しいのはこの行為から、次の結論に至るまでのHPが残っていないことだ。

 

自分がそこまで明るい恋愛をしてこなかったような気がしてきて、これ以上ネットの海に自分の恋愛癖を晒すのは止めようと、微熱に浮かされながら、そのままスマホをほっぽりだした。

 

18年8月:夢を記録する

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脳が暑さに耐えかねて、夏場はよく夢を見た。全部を覚えている訳ではないが、夢で起きた出来事を忘れないよう、咄嗟にメモすることがある。

しょうもない夢ほど、細部までよく覚えている。

 

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例えばこんな夢を見た。

 

深夜に大鳥神社前の通りを、数人の仲間と歩いている。
坂道を降りていくと、誰かが後ろからしがみついてきた。私はそのまま歩き続ける。坂はとても長い。
場所が変わって、暗い古びたホテルで1人起きる。時計は8:30を指していて、「目黒から会社は遠いんだよな」と感じる。
私は人と坂道を登るが(1人でホテルにいたはずなのに)、途中で忘れ物を思い出す。忘れ物を取りにホテルへ戻るが、足は地面から10cmくらい浮いていて、走るというよりも、滑っている。滑ったまま、川を渡る。

 

場所が変わって、自宅のリビングに立っている。音楽雑誌へ応募した原稿が、家に返送されてきた。ぐにゃぐにゃした鉛筆文字で、何やらこう書いてある。文字は薄くて覇気がない。私は目を凝らして読む。


「もうちょっとです、頑張ってください。あなたは最高に気の毒な人です。もしこの仕事に興味があるようなら、0000@gmail.comまでご連絡ください」


次に目を開けると、某雑誌の出版社に私は立っている。事務所には、キャップを被って痩せたオシャレ眼鏡の男が、横柄な態度でソファに座っている。
「かわいそうに、魚とキスしよう」。

中年の男が私の手を引っ張って階段へ連れていく。踊り場まで引きずられたところで、それ以上手を引き込まれないようにと、ついしゃがみこむ。顔をあげるとドアの向こうでは、水槽が壁一面に並ぶ。足元にはカワウソが二匹、肌を濡らしている。

 

目が覚める。遅刻する。

 

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こんな夢を見た。

 

賞味期限切れの、四角い豆乳(1000ml)を持っている。特にキツい匂いもなければ、味も悪くはなってない。自分はそれをくいーっと勢いをつけて飲む。

周りの友達は訝しげな顔をする。そんなもん飲んで大丈夫なの、という具合に。

別にどうってことないし、不味くもなってないのだから、自分がなぜそんな変な目で見られるのかがわからない。また豆乳を飲む。暗い木造の部屋に、夏の眩しい光線が差し込む。

 

朝起きると、お腹が痛い。
キリキリした嫌な感覚に耐えながら、家を出て電車に乗った。

 

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こんな夢を見た。

 

いつも遊ぶメンバーで、空港(多分記憶を辿るにロサンゼルスかポートランド)に降りたった。夕方の17:00頃で、そのままホテルに行こうにもどこか勿体無く、遊び場(クラブイベント)を探すことにする。

皆で空港のベンチに座りながら、頭を寄せてネットで検索をかける。しかし一向に良いイベント情報にたどり着かない。その土地で有名なクラブの名前でサーチをかけても、なぜか2017年で更新がストップしていたり、変なテキストサイトに飛んだりする。

Facebookのイベントぺージで場所を指定したりするのに、どうも良いやつがない。というか、どれが良いかが一切分からない。

これが現実なら「ご飯に行ったり大人しくホテルに行けばいい」という結論に至るはずなのに、なぜか自分は「どうしてもイベントに行かなきゃ」と思い込んでいて、別のソリューションにたどり着かない。

 

「どうしよう、今日はどのパーティに行けば良いんだろう、どうしよう、どうしよう」と、頭が真っ白になったところで目が覚めた。

 

喉が痛くて汗びっしょりの状態で、腕が体に押しつぶされている状態だった。

これは悪夢なのだろうか。

 

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明確に覚えている夢というのは、「この出来事がきっかけなんだな」という心当たりが確かにある。現実で起きたことと夢がごちゃ混ぜになっていて「微妙に本当」の情報になっているからこそ、「記憶と夢が繋がっているんだな」ということを実感させられる。

 

しかも、夢で出てきたような場所に実際に立ち会うことになったり、幸か不幸かほとんど同じような状況になったりするもんだから、夢占いもあなどれないなと思った次第である。

 

ただ、三つ目の夢は自分でも「病気の域かもしれない」と思ったので、クラブはちょっとばかし控えた方が良いものかと、考えあぐねている。

夢占いができる人、この夢がどういう意味を持つのか教えてください。

 

17年7月:マームとジプシー「BOAT」と映画「万引き家族」から、人を待たせる辛さを考える

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自分は待つことにあまり苦を感じたことが無くて、待ち合わせに相手が30分遅れようものなら、好き勝手にフラフラと散歩に出てしまう癖がある(そしてだいたい遅刻者よりも遅刻する)。

 

そして、待つことの苦しみを知らずに生きてきたせいか、遅刻する時ほど大掛かりな遅刻をすることが多い。

寝坊で遅刻をするのではなく、母親が淹れたお茶が美味しかったり、朝ごはんの味噌汁に感動したり、書店で手に取った本が面白かったりという理由で遅れるものだから、自分でもタチが悪いと思っている。

 

自分でも分かってはいる。

でも待ってくれる人がいると分かっているうちは、どうも悪いことに、愛されているなと感じてしまう。

 

 

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マームとジプシーの「BOAT」を観た。

 

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今まで観た演劇のなかでもピカイチに良い。

 

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舞台は漂着した移民が流れ着いた末に出来上がった街。

「余所者」は数ヶ月前、別の国からボートを使って逃げてきた。流れ着いたこの土地で、荷物を運ぶ仕事をしている。

「余所者」は元からいた街に住む奴らから、あまり良く思われていない。彼らは言う。「ここは俺たちの街だ、余所者にここの勝手が分かるか」と。しかし、彼らもルートを辿ると遥か昔は余所者だったわけで。彼らはそのことをすっかり昔に忘れてしまっている。

 

「余所者」は回想する。「僕のいた街では、ここと同じように煙突があった」。

なお「余所者」の帰りを異国で待つ人はいない。故郷はボートの襲来を受けて粉々にされてしまっている。

 

街の人々はこぼす。「街は誰のものだ?俺らのものだろうが」。

人々は「余所者」や、「余所者」のような移民たちを嫌悪する。

 

ある日空から多くのボートが押し寄せてくる。襲来するボートは街を破壊していく。人々がボートに乗って別の国へと逃げていく中、瞬時にして様々なドラマが動き出す。誰かを「待つ」ために街に残り続ける人、誰かを「待つ」ことをやめ、自ら命を絶つ人、また混乱に乗じて「待たれることのない」人に暴力を振るう人、等々。

 

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 幾度も繰り返される同じセリフが、姿、形、意味を変えていく過程が美しい。

シーンがフラッシュバックし、別のシーンと重なりながら、どんどん言葉に新しい意味が加えられ、伏線は回収されていく。

 

その中でも徐々にマクロに、あるいはミクロになっていくのは「待つ」という言葉だ。

劇中には、船に出て帰ってこない人を文字通り「待つ」人がいる。

誰かを待つということは、物理的な行為だけではなく、そここそを誰かの帰ってくる場(=帰属)にする行為なわけで。国籍や住居ではなく、「待つ」「待たれる」という行為が、その人の故郷を作り出しているのだと知る。

待っている人がいるということが、その人の「故郷」になるのだとしたら、「故郷」とは、いくつあってもいいものであるし、ふとすると「故郷」が無いこともありうる。

 


[movie]※ネタバレあり

 

そういえば「万引き家族」は「ルーツ」の無い人々の話ではないか。

 


映画「万引き家族」本予告編

 

歪ながらも、一瞬でも全員のピースが合わさって「家族」が形成された物語、ではある。

 

だがラストシーン、あっけなく家族の形が崩れ去り、跡形も無くなってしまったのは、誰が誰のことを「待つ」ことも、「待たれる」ことも無くなってしまったからなのだ。

 

もし誰かが誰かのことを待っていれば、そこに家族の続きはあったかもしれない。

でも、最後は誰も待たなかった。故郷は無くなり、人々は散った。

彼らもまた、別々のボートに乗り、バラバラの国へ降り立ったようなものだ。

 

[Chain]

 

よく遅刻をして人を待たせているときに思い出すのが、太宰治の言葉である。

 

太宰治檀一雄と熱海旅行に行った時「宿代を東京の菊池寛に借りてくる」と言い残しながら、檀を旅行先の宿に置いてけぼりにし、先に帰ったことがあるらしい。
しかも檀がキレながら帰ってきたとき、太宰治井伏鱒二と呑気に将棋を打っていたという。

 

カチキレている檀を前に、太宰はこう言ったらしい。

 

「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」。

 

待たせる方も辛いと。

すごい言い訳である。今度使おうと思う。

 

 

でも「待たせる方が辛い」はなんとなくわかる気がする。

待つということは、少なからず相手に愛情がないとできない訳で、こんな人を待たせるような人に注いでくれる愛情なんて、自分の身に余りすぎると感じてしまうことがある。

 

待つ人たちは、強い。意思が強い。

待たせる人たちは、その意思の強さに負けそうになる。

逆に待つことも、待たれることもない人たちは、拠り所がないんじゃないか。

そう思った時に「万引き家族」で感じた「拠り所」の温かみが分かった気がした。

どんなに歪んでても、拠り所がある。仮初めのルーツが出来上がる。「待つ」「待たれる」関係は美しい。

 

とはいえ遅刻は良くないので、なんとかしようとは思う。

 

18年6月:「君の名前で僕を呼んで」をただのLGBT映画だと思っている奴、とりあえず観てこい

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四捨五入しても逃れられない「アラサー」になろうとしている15分前。

日付を越えてからがカウントダウンの始まりである。要は誕生日だ。26歳になる。

でもこの記事を公開する頃には、もう戻れない道を歩み始めているはずだ。ありがとう25歳。とても楽しかったよ。

 

本来であればエモーションのままに25歳の振り返りをするべきところではあるだろうが、

 

ぶっちゃけ今は自分の誕生日とか心底どうでもいい。

クッソどうでもいい。

 

君の名前で僕を呼んでについて語りたくてハゲそうなのだ。

 

[movie]

 

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君の名前で僕を呼んで : 作品情報 - 映画.com

 

映画館で初めて、上映中に「尊い…」と漏らしてしまった。

音楽良し、役者最高、カメラワークも素晴らしい。全てが美しかった。

あとは80年代後半特有のいなたいスタイリング。完全に自分のツボに入ってしまい、終始過呼吸の一段階手前みたいな状態。まさに雑誌「POPEYE(ポパイ)」に出てきそうな、ゆるいテイストである。特に「大きめのトレーナー×短パン×ライン入りソックス」というスケーターみたいな組み合わせが最高の極みで、1人でハゲそうになっていた。

 

いろんな要素が重なりに重なって、映画館を出る頃から今に至るまで、もはや「ハゲる」「尊い」「吐きそう」しか言えないBotと化している。尊い。尊すぎてハゲそう。

 

ただ、何よりもどストライクにツボを直撃したのはやっぱり(?)ラブシーンだった。

爽やか、かつ本気。真夏の部活帰りのJKが持つシーブリーズに劣らない清涼感だった(キモいなあ…)。

しかも観ているうちに「男×男」が一切関係なくなっていくから不思議である。

 

語弊が生じるかもしれないが

正直、従来私がイメージしてきた「LGBT映画」という括りの中では、この映画を語りたくないと強く感じた。

 

それは、LGBTを拒絶する人たちが一切出てこないからだ。この映画には「ゲイだから」という理由で彼らを軽蔑する視線が出てこない。性別によるハードルが、こと恋愛においてほとんど無いのだ。というか「ゲイ」でも無いかもしれない。たまたま好きになった人が同性だっただけ、程度のノリである。

 

今までLGBT映画を、真剣にかつ数多くは観ていないのでアレなのだが、

正直私のイメージする「LGBT映画」とは「性別による苦難と周囲の視線を乗り越えながらも、同性同士の恋愛における幸せを手にする」映画だった。「LGBTであること」がストーリーの中心軸にあるジャンル、というイメージである。

 

例えば過去に衝撃を受けた作品を挙げるとすれば「アデル ブルーは熱い色」。

 


アデル、ブルーは熱い色

 

「アデル」が周りの蔑視や主人公本人の葛藤、登場人物同士の気持ちのぶつかり合いによってエネルギーを消耗する映画だったのに対し、「君の名前で僕を呼んで」は言ってしまえばストレスフリーだった。

 

レインボー・パレードのいらない世界。だからこそ、この映画は革新的だ。

 

もはや同性愛が様々な社会的ハードルを乗り越えるものではなく、あくまで作品の「一要素」として取り上げられるフェーズに入っているのかもしれない。

10年代後半以降、より注目され、頻繁に公開されていくLGBTテーマの映画の中でも、「君の名前で僕を呼んで」はまさに「サマー・オブ・ラブ」なハイ・インパクトのある作品なんじゃないかと思っている(ひと夏の恋、なだけに)。

 

そう、これは「人×人」の恋愛映画だ。椎名林檎が言うところの「男にも女にもならない」を、ワンシーンごとに一歩一歩体現していた。だからこそ「君の名前で僕を呼んで」は私にとって、「17歳の感受性豊かな子供と居候の甘酸っぱい恋を描いた作品」という括りになっている。

 

という訳で、「LGBT映画がちょっと苦手」と思っている奴、とりあえず観てこい。

これは恋愛映画だ。観てて胸が苦しくなるほどの恋愛映画である。「ママレード・ボーイ」よりときめくかもしれないぞ。とりあえず、観てこい。

 

 

追記:エリオ役のティモシー・シャラメ、マジ天使。