18年6月:「君の名前で僕を呼んで」をただのLGBT映画だと思っている奴、とりあえず観てこい
[chain]
四捨五入しても逃れられない「アラサー」になろうとしている15分前。
日付を越えてからがカウントダウンの始まりである。要は誕生日だ。26歳になる。
でもこの記事を公開する頃には、もう戻れない道を歩み始めているはずだ。ありがとう25歳。とても楽しかったよ。
本来であればエモーションのままに25歳の振り返りをするべきところではあるだろうが、
ぶっちゃけ今は自分の誕生日とか心底どうでもいい。
クッソどうでもいい。
「君の名前で僕を呼んで」について語りたくてハゲそうなのだ。
[movie]
映画館で初めて、上映中に「尊い…」と漏らしてしまった。
音楽良し、役者最高、カメラワークも素晴らしい。全てが美しかった。
あとは80年代後半特有のいなたいスタイリング。完全に自分のツボに入ってしまい、終始過呼吸の一段階手前みたいな状態。まさに雑誌「POPEYE(ポパイ)」に出てきそうな、ゆるいテイストである。特に「大きめのトレーナー×短パン×ライン入りソックス」というスケーターみたいな組み合わせが最高の極みで、1人でハゲそうになっていた。
いろんな要素が重なりに重なって、映画館を出る頃から今に至るまで、もはや「ハゲる」「尊い」「吐きそう」しか言えないBotと化している。尊い。尊すぎてハゲそう。
ただ、何よりもどストライクにツボを直撃したのはやっぱり(?)ラブシーンだった。
爽やか、かつ本気。真夏の部活帰りのJKが持つシーブリーズに劣らない清涼感だった(キモいなあ…)。
しかも観ているうちに「男×男」が一切関係なくなっていくから不思議である。
語弊が生じるかもしれないが
正直、従来私がイメージしてきた「LGBT映画」という括りの中では、この映画を語りたくないと強く感じた。
それは、LGBTを拒絶する人たちが一切出てこないからだ。この映画には「ゲイだから」という理由で彼らを軽蔑する視線が出てこない。性別によるハードルが、こと恋愛においてほとんど無いのだ。というか「ゲイ」でも無いかもしれない。たまたま好きになった人が同性だっただけ、程度のノリである。
今までLGBT映画を、真剣にかつ数多くは観ていないのでアレなのだが、
正直私のイメージする「LGBT映画」とは「性別による苦難と周囲の視線を乗り越えながらも、同性同士の恋愛における幸せを手にする」映画だった。「LGBTであること」がストーリーの中心軸にあるジャンル、というイメージである。
例えば過去に衝撃を受けた作品を挙げるとすれば「アデル ブルーは熱い色」。
「アデル」が周りの蔑視や主人公本人の葛藤、登場人物同士の気持ちのぶつかり合いによってエネルギーを消耗する映画だったのに対し、「君の名前で僕を呼んで」は言ってしまえばストレスフリーだった。
レインボー・パレードのいらない世界。だからこそ、この映画は革新的だ。
もはや同性愛が様々な社会的ハードルを乗り越えるものではなく、あくまで作品の「一要素」として取り上げられるフェーズに入っているのかもしれない。
10年代後半以降、より注目され、頻繁に公開されていくLGBTテーマの映画の中でも、「君の名前で僕を呼んで」はまさに「サマー・オブ・ラブ」なハイ・インパクトのある作品なんじゃないかと思っている(ひと夏の恋、なだけに)。
そう、これは「人×人」の恋愛映画だ。椎名林檎が言うところの「男にも女にもならない」を、ワンシーンごとに一歩一歩体現していた。だからこそ「君の名前で僕を呼んで」は私にとって、「17歳の感受性豊かな子供と居候の甘酸っぱい恋を描いた作品」という括りになっている。
という訳で、「LGBT映画がちょっと苦手」と思っている奴、とりあえず観てこい。
これは恋愛映画だ。観てて胸が苦しくなるほどの恋愛映画である。「ママレード・ボーイ」よりときめくかもしれないぞ。とりあえず、観てこい。
追記:エリオ役のティモシー・シャラメ、マジ天使。