チェーン・スポーキング

カルチャーずるずるモノローグ

18年1月:吉野家で白カレーを食べたときの陰陽調和な状況

吉野家の白カレーを食べた。

 

牛丼の舌と胃になって、意気揚々と自動ドアをくぐり抜け

混みついたカウンター席に座る。メニューを見る。温かいお茶を出される。

 

「白カレー」が目につく。

 

牛丼への欲と白カレーへの興味を天秤にかけ、

気づいたら白カレーなるものを注文していた。

普段吉野家に行くと反射的にチーズをトッピングする癖があり、

チーズもトッピングしてしまった。

味の想像がつかないが、なんとなくチーズな気がする。

 

ファミマであっためるのを待つタイミングよりも早く、白カレーはきた。

白い。白いし、なんか固形っぽい。

 

チーズをご飯のほうによけ、溶けていくのを楽しみながらルーを一口掬う。

思ったよりもカラい。じわっとくるカラさである。

 

ココナッツのような風味がする。甘いと思ったらあとあと辛くなってくる。

そして何より固形っぽい。

 

固形っぽい。片栗粉のようなものが入っている気がする。

なんだろう。でも美味しい。固形っぽいけど美味しい。

チーズと固形が混ざり、チーズがより風味をクリーミーにさせる。

それでも固形っぽくて美味しい。

 

黙々と固形を食べていたので、そのうちお冷が欲しくなる。

店員さんを呼ぼうと顔をあげる。その瞬間だった。

 

あるお客さんがお釣りをもらえなかったらしく、店員に声をかける。

店員はまだ新人らしく、戸惑って先輩を呼びに行く。

そのうち、お客さんがまとめて2〜3人、席を立ち始める。

幅80cmもない、狭い空間を店員がノンストップで動く。

レジを打つ店員。お釣りが結局いくら必要なのかをお客さんに聞く店員。

レジを打つ店員とレジの間にできた腕のアーチを潜ろうとし、諦める店員。

避ける店員。

 

「だって、TSUTAYAのアプリが使えるってさっき言ったじゃないですか」

 

お客さんの一人が声を荒げた。

レジが旧式で、アプリでのポイント付与ができなかったらしい。

喉が乾く。

 

店員は困り果て、上の人を呼ぶ。

上の人がキッチンから表に出てくる。試すがポイントは反映されない。

上の人が上の人を呼びに行く。

お客さんは見るからに機嫌が悪くなっていく。

 

「いや、ポイントついたところで数ポイントだけやん」

 

脳内で関西弁が出る。固形はあと3分の1ほど残っている。

固形が口の中から水分を吸い込んで、喉の奥にすべりこむ。

 

「いや、使えないのは分かったんですけど、さっきお店に入るときに確認しましたよね?」

 

いいじゃん。数ポイントだし。

しかし、きっとそのお客さんのなかでは一大事なのだろう。

「たかがポイント」なんて、こっちの都合で思ってはいけないのだ。

 

頭のなかでお客さんの状況をシミュレーションをする。

 

もしかしたらTポイントで何かが欲しいのかもしれない。

もしくはTポイントをかき集めないとお会計が払えないほどお金が無いのかもしれない。

あるいは生粋のポイントマニアで、数ある飲食店ならびに商業施設のポイントを制覇するクチの人なのかもしれない。

 

理由は数あれど、店員への詰めっぷりにはリアルを感じた。

喉が乾いたがお冷を頼めない、死の際を感じている自分と、

何かを必死で求めようとする、お客さんの生の姿。

 

狭いカウンターのなかで、生と死がせめぎあっている。

万物は陰と陽に分けられるという東洋が考えがあるように、

白カレーと黒カレーがある。怒りが生であれば、喉の乾きは死である。

最後の白い固形物をずるっと飲み込んだ。

 

「お会計くださぁい」

 

乾いた喉をよくよくなだめながら、吉野家を出た。

 

喫茶店に入り、お冷を飲む。

トリビアの種」の判定結果のように、内側の細胞がパタパタパタッと「生」へ切り替わっていく。満開の「生」だった。

 

そのうち白カレーの味なんて思い出さず、

「結局あれはカレーだったのか」なんて、白カレーの「し」の字すら思い出さないことすらあるだろう。

でもTSUTAYAの文字を見る度に、きっとあの状況だけがふと思い出されるはずだ。

 

 

一人で食べる食事の記憶なんて、そんなもんである。