チェーン・スポーキング

カルチャーずるずるモノローグ

備忘録2016/2 ポートランド・タイ・キューバ旅行

先々月の話である。

  

ポートランド・タイ・キューバというまるでめちゃくちゃな渡航ルートを組み、海外旅行へ行ってきた。

 

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ポートランドは前回のブログに記した通り。ニューヨークほどギラギラした場所ではないけれど、ニューヨークよりも(良い意味で)生ぬるくてスローである。ご飯はめちゃくちゃ美味しいし、古着巡りも楽しい。自分の趣味に合った店が多くて、文字通りの豪遊ができる場所だった。

 

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良いモノだからこそ多少の出費は厭わない。そうは言っても、旅行先のテンションも相まって金銭感覚は麻痺するポートランドからタイへの移動は、クレジットカードの乱用によってグラグラになった頭を冷やす良いルートだった。

 

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バンコクバックパッカー街・カオサンでの宿泊費は300バーツ(約900円)、屋台メシは一食30〜40バーツ(約120円前後)、マッサージは90分で150バーツ(約450円)。

 

一回のディナーに30ドル近くも費やしていたポートランドの自分を殴りたくなる価格設定である。

 

ただ、ポートランドと違うのは「モノの価値」を自分自身で決めなければいけないところ。「日本で買うなら何円払うか」を考えながら、とにかく値切る。ボッタクリとしか思えない値段を提示されるときは相手にしないし、その代わりちょっと高かったとしても良いモノであれば(特にサイヤームの先進的なビルに入っているセレクトショップとか)、提示された価格に従う。それがこの都市のルールだ。

 

そして物価のめちゃくちゃ安いタイから立て続けに訪れたからこそ、キューバのシステムは衝撃的だった。

 

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 ハバナは思いのほか観光地の色が強く、また想像以上に治安も良かった。

崩れそうな建物だらけの町並みを、壊れそうなクラシックカーで走る。ウルサイ広告もなければハイブランドのショップもない。スタバもない。あるのは配給用のスーパーみたいなところと、観光客用のバー、レストラン、カフェ、そして美しい景観だけだ。あとは革製品やカゴを売る民芸品店とか。

日本の温泉街みたいな感覚である。ただ、訪れたどこの国よりも住民が人懐こい。

 

 

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先述の通り、特徴的なのはお金の価値と、その分配についてのマナーだ。

観光客とキューバ人の使うお金は分けられていて(CUCとCUP)キューバ人のCUPでしか買えないご飯もある。

例えばコッペリアという有名なアイスクリーム屋は、支払う貨幣によってアイスクリームの大きさが違う。ちなみにCUPで払ったほうが圧倒的にお得で、量が多い。手持ちにCUCしか無かったのでちょっと悲しい思いをした。

ちなみにお金を持っている方は持っていない方に富を分け与えるルールがあるので、現地の人とどこかに行くときは何かしらおごらなければいけないそうだ。

また、面白かったのはインターネットがつながらないということ。

本当に良い情報は人づてに聞かないと得られない。Google Mapが使えないので、迷ったらとりあえず人に聞くしかない。一応1時間200円くらいでつなぐことはできるけど、大人数で使っているのでめちゃくちゃ遅い。
すぐにお店を検索できないのは面倒だけど、情報の波に疲れた自分にとっては割と快適な環境だった。

 

富の分配と情報量の少なさ。小さな国だからこそ為し得ている、社会主義の好例だった。案外悪くはない。だからこそ疑問だったのは、これだけの観光客がいわゆる「インターネット」の代わりとして外部から情報を持ち込んでいるのに、なぜ統制が保たれているのかということだった。なんで「この国のシステムはクソだな〜〜」とか「観光客は金もってんな〜〜〜良いよな〜〜〜」ってならないのだろうか。

 

これから工事が進み、wi-fiも徐々に通るようになって、人々は情報をもっと効率的に得るようになる。先月行った時点で工事の穴だらけだったので、もう数年後には人々の生活環境やファッションが変わっているかもしれない(ちなみにオバマ大統領来訪までに工事は全て終わったらしい)。資本主義の風とともに、よく笑いよく踊るハッピーな人たちの顔つきまでもが変わっちゃうのは嫌だなと思ってしまった。

 

 

そして、世界がちょっとずつ変化していくなか「学生」だった自分が終焉を迎えた。

焼酎みたいなビールを出す居酒屋で始発を待つ機会も激減するだろうし、平日昼間に起きてだらだらスマホを引っ掻くことはもう無くなった。

お金はたくさんもらえるようになるが、代わりに自分の時間は減る。

限られた時間をどう使うべきか。最後の長期休暇で考えあぐねている時に、太宰治から悪魔のささやきを受けてしまったのが、「学生最後の旅」のきっかけだった。

 

かず子、着物を売りましょうよ。二人の着物をどんどん売って、思い切りむだ使いして、ぜいたくな暮らしをしましょうよ。

『斜陽』太宰治より 

 

着物−−ではなく、今まで貯めていたアルバイト代と親や親戚からのお小遣いを思い切りむだ使いして、行きたかった場所へ行きたくなったのだ。

 

そして飛行機のなかで常に考えていたのは、自分が今どういった場所に居を構えているのかということだ。

 

島田雅彦の小説に『ニッチをさがして』という作品がある。銀行を追われたサラリーマンが漫画喫茶や廃車の中、河川敷などを転々としながら逃避行を続ける物語だ。

サバイバルな逃避行とは異なれど、私も彼のように様々な「ニッチ」を探し、転々と地球を転がっていた。

 

丁寧な暮らしを美とする場所、安く賢く生活することを美とする場所、富を配分する生活を美とする場所。汚い場所にも行ったしきれいな場所にも行った。

 

しかし、心は常に「ニッチ=居場所」である東京に想いを巡らせていた。

 

結論として、東京は、モノが溢れていて選択肢が多いことを美とする場所だ。

自分が今後「ニッチ」に何を求めながら生活していくのか。それが今回の旅で得た新しいテーマかもしれない。