チェーン・スポーキング

カルチャーずるずるモノローグ

16年6月:人工知能と「むじんくん」のCMについて考える

 

 [CHAIN]

 

 日本の片隅で「あ〜くっそエロくなりてえなあ〜オイ」と 無様に叫び続けていたちょうどその頃(※前回参照)、

秋葉原で「アダルトVRフェスタ」があった。

情報を見つけたのが開催日当日ということもあり

会場へは訪れることができなかった。

(でももっと早く知っていたら行ってた、一人で)。

 

ヒトの話によると予想以上に人が殺到したらしく、

会場へは一部の先頭集団しか入ることができなかったらしい。

 

20to4000.hatenablog.com

 

エロ(もといエンタメ)が絡むと技術は急発達する。

分かりやすくて需要があるからだ。

難しいものを分かりやすいものへ落とし込むことで、

大勢のパンピーから「もっと純度の高いもの」が求められるようになる。

しかし、それが理解の範疇を超えてしまうと、

大衆は口をつぐみだし「時代が追いつかなかった」モノとして片付けようとする。

促進するのも制御するのも大衆の力である。

 

どないせえっちゅうねん、と呟きたくなる位、大衆は理不尽である。

 

要は「新しすぎるとドン引かれる」のだ。

 

[Movie]

 


映画『エクス・マキナ』予告編

 

人型ロボットの世界もその構造で発達している。

ASHIMOからpepperに至るまで、

それらは人々の頭の中で考える「ロボット」像の範囲内で進化しながら、

スターウォーズ」や「鉄腕アトム」の世界に近づきつつある。

 

しかし、技術の進歩がこのまま進み、

特定の未来像に限りなく近い「未来」が訪れたら

技術に対し拒絶を示す人も少なからず存在するはずだ。

まさに映画「A.I.」の世界である。

 

先月公開された「エクス・マキナ」は、

現在の技術をもう少し進歩させれば手の届く範囲の「未来」の話を

「ワクワク」ではなく「ゾッとする」方の視点で表現している。

 

想定の範囲内」なシナリオではある。既視感もあった。

しかし改めて「AI(人工知能)」で起こりうるホラーは

当然ながら10数年前の映画よりずっとシビアに、冷酷に表現されていた。

 

[Art]

 

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エクス・マキナ」作中に、人工知能エヴァが絵を描くシーンがあった。

だが、監督の意図があるのか知らずか、

いかにも計算されたような絵だった(主人公が教えれば教えるほどエヴァが緻密な絵を描くあたり、まさにプログラミングの作業を彷彿とさせた)。

 

実際に、人工知能に絵を描かせることは既に可能ではあるし、

なんなら最近は小説も書かせることが可能らしい。

しかし見たままを描く「写実」や「パターンニング」のレベルから先へ進まない限り、

まだ芸術の分野は人間の特権たりうるようだ。

 

芸術とは、自身の意思や感情の制御を超えた世界に存在すると考えている。

一定のテーマや法則は繰り返し用いられているが、

そこから新しい発想を生み出そうともがく行為に、芸術の偉大性がある。

だから、もがいた末に特定の枠内から飛び出してきた結果として

音楽や演劇のアドリブは面白いのだと、

六本木クロッシング2016展に展示されていた山城大督の「トーキング・ライツ」を見て思った。

 


「六本木クロッシング2016展」紹介映像:山城大督Version

 

古い家具の動きに合わせ、録音されたセリフが流れる。

人間を介入させずに「演劇」を成立させようとする試みだ。

「感情の存在しないモノ」に感情移入ができるのかを問題提起している。

  

テーマパークのアトラクションのようなもので、

そこにアドリブは存在しないし、ハプニングも訪れない。

それでもこの作品を例外的にちょっと面白いと思えたのは、

ヒトの形には見えないモノへのアテレコによって感動を生み出そうとしていたこと、

子供の声の不完全さに人間臭さがあったからだと思う。

 

「不完全さ」ほど人間の身体を感じさせる要素は無いのだと感じた。

 


「六本木クロッシング2016展」紹介映像:西原 尚Version

 

一方で、人間が音楽を聴いた時の感情を表現した西原尚「ブリンブリン」も興味深かった。

黒い重りはいろんなところに引っかかりながらコンベアで運ばれ、

鑑賞者の予想をちょっと過ぎた辺りでストンと落ちる。

良い音楽を聴いたときの感動を、重りが散々焦らされた末に落ちた瞬間のカタルシスで表現している。

 

感動が懐へ落ちる装置は作れるし受容もできるが、

感動のタイミングまではさすがにコントロールできないらしい。

だからこそ、想定外に訪れた感動は大きいのだ。

 

[Music]

 

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The Avalanchesの新譜「Wildflower」では、それこそ「鑑賞者のコントロールの範疇を超える」面白さを感じた。

エモーショナルなディスコサウンドをベースに、子供とかおっさんの声のサンプリングとかをすごくファニーな感じでちりばめているかと思えば

サウンドオブミュージックを突然ぶっこむ感じの暴れ方である。

めちゃくちゃ笑った。面白い。

AIに任せれば、ウン万曲のストックからランダムに旋律をピックアップして

新しいトラックを作ることも可能だとは思うが、

その組み合わせの面白さと、過去の曲をいかに愛着を持ってマッシュアップできるかは、個々の人間が為せる技だと思う。

 

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あとはSuchmosのEP「MINT CONDITION」も気に入った。

「Essence」の時は「またなんか渋谷アーバンでオシャンティな感じのが出てきちゃったけどどうしようか(好きだけど)」と思っていた。

しかしシティポップがいよいよ飽和状態で「そろそろ人工知能に任せられるのでは」と思い始めていた頃に、

歪みを効かせたロックギターを取り入れスパイスを加えてくれたのは嬉しかった。

 

紋切り型から脱却しようとする「遊び」があるからこそ、 まだまだ人間の音楽を聴いていたいなと思ってしまう。 ファックザ量産型、なスタンスでいたい。

 

[CHAIN]

 

ただ、人間は理不尽である。

確かに未来とは「たどり着いたら無機質でなんか不気味なもの」だが、

そう考え、拒絶しつつも、やっぱり求めずにはいられない。

 

「未来」の需要は、ファッションで如実に顕れる。

90年代、ノストラダムスの大予言が世間を賑わせた頃、

日本でサイバー・ファッションが流行したことがあったらしい。

 

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(引用元:ネオンカラーのファッションが日本の街を彩る | nippon.com

 

ネオンカラーに厚底でミニスカ。

今見返すと、なんとも「近未来」のスタイルっぽいなと思ってしまう。

手塚治虫の描くサイボーグ女子がいかにも着てそうなのだ。

 

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ビョークが雑誌「CUT」の表紙で履いてポンプフューリーが大流行したのも、

1995年5月である。「ハイテクスニーカー」と呼ばれ、エアーマックスなどと共にブレイクしたそうだ。これもまた、機械っぽいデザインである。

 

人々は来るはずのない(かもしれない)未来を

「コスチューム」という形で先取りしようとしていたのだろう。

また、その頃に「未来」がファッションとして頻繁に捉えられていたのは、

当時のCMからも見てとれる。

 


むじんくん アコム

 

メタリックでタイトな服で、髪型もナチュラルからほど遠い感じ、

それが全時代共通の典型的な「未来」だ。

 

[Magazine]

 

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そういった90年代の「未来」的変身願望をぼんやり思い出したのは、

今月の「GINZA」がきっかけである。

 

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(GINZA 16年8月号より) 

 

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(GINZA 16年8月号より) 

 

「 When she wants to change」シリーズが気になった。

80〜90年代サイバーファッションのリバイバル兆候は

去年〜一昨年辺りからあったものの、

今年はそれがよりダイレクトにきている気がする。

去年よりもメタリックなものや、タイトな宇宙服っぽいスタイルが流行りそうだ。

 

 

ノストラダムス大予言の時代同様、ぼんやりと未来が見えなくなってきたからか、

「いかにも未来っぽい未来」を人々が求めるようになった。

しかし、暗雲が立ち込み具合は90年代と比べ物にならないと思う。

だからこそ、せめてカルチャーの中だけでも“明るい未来に就職希望”していたい。

 


モーニング娘。 『LOVEマシーン』 (MV)

 

ウォウウォウ×2。

16年5月:「ヌード=エロ」の世の中に悶々とする

[Movie] 

 


映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』予告編

 

バンクシー・ダズ・ニューヨーク」を観た。

NYの至る所に痕跡を遺していく謎のアーティスト・バンクシー

彼(彼女?)のゲリラ活動に熱狂するファン、

そして痕跡をお金に換算して翻弄されるギャラリストたちの姿を、

メディチックに描いたドキュメンタリーだ。

1ヶ月の盛大な追いかけっこを仕掛けたバンクシーは、

どこまでを「想定内」と捉えていたのだろう。

顔を見たことがないけど、多分勝ち誇った顔をしている。

 

バンクシーの作品には、強烈な社会風刺が頻繁に登場する。

「リトルマーメイド」のアリエルを石油まみれにしたり、

家畜用トラックに牛とか豚のぬいぐるみを詰め込んで

肉屋の前に停車させたりしている。

これを言うとだいたいドン引かれるが、

バンクシーのこういう嗜虐的な表現にめちゃくちゃ惹かれる。

もっとダイレクトに言うと、なんか超エロい。テンションが上がる。

引くなら引くがいい。恐れるものはない。

バンクシー、マジエロい。

 

[Art]

 

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さて、「エロい」を構成する上で必要不可欠な要素は「背徳感」だと思う。

目を逸らす要素が無ければ、そこに「エロ」は生まれない。

逆を言うと、何かに「エロ」を感じる時、そこには背徳感が存在しているはずだ。

 

初台のオペラシティー アートギャラリーで開催されている、

Ryan Mcginley(ライアン・マッギンレー)の個展「Body Loud!」を観た。

壁一面を覆い尽くす、おびただしい数のヌード。

それでも、全くエロくない。

恥じらう姿が一切ないからだ。緊張の解けた顔をしている。

インティメシーと呼ばれるものだと思う。

ギリシャ彫刻のような神聖さ、潔さもあるし、

人間が「動物」だったことを思い出す一面すら感じた。

 

撮られている人々にも、撮っている人にも、背徳感が無いからだと思う。

エロくないヌードだってあるのだ。

 

どうせエロい目で見てる人たちには「けしからんモノ」に映るのだろうけど。

 

[Magazine]

 

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「けしからんモノ」でいうと、荒木経惟の写真はかなりキワドくて好きだ。

足をガバっと広げているネエちゃんの写真とかは

ライアンの撮る人間の「動物っぽさ」に共通する感情を抱くが、

それと同時に「見ててスンマセン」という気分にもさせられる。

疲弊する背徳感だ。げっそりする、ともいう。

 

ただ、記念すべき復刊を果たした「i-D JAPAN」の水原希子は、

そういった目も当てられない類のエロではない。

ピュアで上品だからこそドキッとさせられる。

生っぽさがエロい。

背徳感があるとすれば、

エロの対象として見ちゃいけないモノにエロを感じた自分への背徳感である。

 

「i-D JAPAN」の復刊、どうなることかとヒヤヒヤしていた。

隅々まで情報がエロくて(※健全な雑誌です)ピュアで、安心している。

でもこれからもっとディープな情報をくれるはずだ。

こんなんじゃ物足りない。いいぞもっとやれ。

 

[Music]

 

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これだけ「エロ」を連呼するなら、一つ言っておきたい。

「エロ」とは視覚情報だけではない。

西のトラックメイカー・Seihoの3年ぶり新譜『Collapse』は

どうしようもなくエロかった。

Sugar's Campaignのポップなイメージから一変し、

より実験的な方向へ進んでいるが

不規則に入る無数のサンプリング音がもう気持ちいい。

『Edible Chrysanthemum』の、生楽器と電子音の掛け合わせも最高。

音の重なりを「絡む」と表現することがあるが、

まさに絡みアリの作品である。

 

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一方、STUTSの『Pushin'』は、最高に渋みのあるエロである。

熟女的なトラックを求めている人にはたまらないアルバムだ。

新旧サウンドの「時代」を超えた絡みだけではなく、PUNPEEや呂布カルマ、Alfred Beach Sandalといったゲストとの絡みがたまらない。

ここ最近ずっと聴いている。身体が相当こういった渋さを求めているのかもしれない。

あるいはそれが流行なのか。

 

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でも、時を重ねて熟成されたエロには敵わない。

New Orderの来日コンサートを新木場スタジオコーストまで観に行った。

歌は下手くそである。演奏は思ったより良かった。

ただ、曲は一切衰えない。『Perfect Kiss』なんて60歳のおっさんが歌ってるのに!

おっさんになっても根っこのスタンスは変えずに、

かつ時代に適合できるからこそ可能な演奏なのだな、と。

「敵わない」という感想がぽろっと出てきてしまった。

 

衰えないなんてことはできないので、

どうせなら年相応のエロを身につけながら衰えたい。

そうすれば「アンタは衰えないネ」なんて言われるんだと思う。

 

そしてここまで話しとおして分かったのは、

「エロ」って「魅力的」と同義なのではということだ。

 

エロい(魅力的な)1年にしたいなとウキウキしている。

これが、24歳初めての投稿である。

備忘録2016/2 ポートランド・タイ・キューバ旅行

先々月の話である。

  

ポートランド・タイ・キューバというまるでめちゃくちゃな渡航ルートを組み、海外旅行へ行ってきた。

 

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ポートランドは前回のブログに記した通り。ニューヨークほどギラギラした場所ではないけれど、ニューヨークよりも(良い意味で)生ぬるくてスローである。ご飯はめちゃくちゃ美味しいし、古着巡りも楽しい。自分の趣味に合った店が多くて、文字通りの豪遊ができる場所だった。

 

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良いモノだからこそ多少の出費は厭わない。そうは言っても、旅行先のテンションも相まって金銭感覚は麻痺するポートランドからタイへの移動は、クレジットカードの乱用によってグラグラになった頭を冷やす良いルートだった。

 

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バンコクバックパッカー街・カオサンでの宿泊費は300バーツ(約900円)、屋台メシは一食30〜40バーツ(約120円前後)、マッサージは90分で150バーツ(約450円)。

 

一回のディナーに30ドル近くも費やしていたポートランドの自分を殴りたくなる価格設定である。

 

ただ、ポートランドと違うのは「モノの価値」を自分自身で決めなければいけないところ。「日本で買うなら何円払うか」を考えながら、とにかく値切る。ボッタクリとしか思えない値段を提示されるときは相手にしないし、その代わりちょっと高かったとしても良いモノであれば(特にサイヤームの先進的なビルに入っているセレクトショップとか)、提示された価格に従う。それがこの都市のルールだ。

 

そして物価のめちゃくちゃ安いタイから立て続けに訪れたからこそ、キューバのシステムは衝撃的だった。

 

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 ハバナは思いのほか観光地の色が強く、また想像以上に治安も良かった。

崩れそうな建物だらけの町並みを、壊れそうなクラシックカーで走る。ウルサイ広告もなければハイブランドのショップもない。スタバもない。あるのは配給用のスーパーみたいなところと、観光客用のバー、レストラン、カフェ、そして美しい景観だけだ。あとは革製品やカゴを売る民芸品店とか。

日本の温泉街みたいな感覚である。ただ、訪れたどこの国よりも住民が人懐こい。

 

 

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先述の通り、特徴的なのはお金の価値と、その分配についてのマナーだ。

観光客とキューバ人の使うお金は分けられていて(CUCとCUP)キューバ人のCUPでしか買えないご飯もある。

例えばコッペリアという有名なアイスクリーム屋は、支払う貨幣によってアイスクリームの大きさが違う。ちなみにCUPで払ったほうが圧倒的にお得で、量が多い。手持ちにCUCしか無かったのでちょっと悲しい思いをした。

ちなみにお金を持っている方は持っていない方に富を分け与えるルールがあるので、現地の人とどこかに行くときは何かしらおごらなければいけないそうだ。

また、面白かったのはインターネットがつながらないということ。

本当に良い情報は人づてに聞かないと得られない。Google Mapが使えないので、迷ったらとりあえず人に聞くしかない。一応1時間200円くらいでつなぐことはできるけど、大人数で使っているのでめちゃくちゃ遅い。
すぐにお店を検索できないのは面倒だけど、情報の波に疲れた自分にとっては割と快適な環境だった。

 

富の分配と情報量の少なさ。小さな国だからこそ為し得ている、社会主義の好例だった。案外悪くはない。だからこそ疑問だったのは、これだけの観光客がいわゆる「インターネット」の代わりとして外部から情報を持ち込んでいるのに、なぜ統制が保たれているのかということだった。なんで「この国のシステムはクソだな〜〜」とか「観光客は金もってんな〜〜〜良いよな〜〜〜」ってならないのだろうか。

 

これから工事が進み、wi-fiも徐々に通るようになって、人々は情報をもっと効率的に得るようになる。先月行った時点で工事の穴だらけだったので、もう数年後には人々の生活環境やファッションが変わっているかもしれない(ちなみにオバマ大統領来訪までに工事は全て終わったらしい)。資本主義の風とともに、よく笑いよく踊るハッピーな人たちの顔つきまでもが変わっちゃうのは嫌だなと思ってしまった。

 

 

そして、世界がちょっとずつ変化していくなか「学生」だった自分が終焉を迎えた。

焼酎みたいなビールを出す居酒屋で始発を待つ機会も激減するだろうし、平日昼間に起きてだらだらスマホを引っ掻くことはもう無くなった。

お金はたくさんもらえるようになるが、代わりに自分の時間は減る。

限られた時間をどう使うべきか。最後の長期休暇で考えあぐねている時に、太宰治から悪魔のささやきを受けてしまったのが、「学生最後の旅」のきっかけだった。

 

かず子、着物を売りましょうよ。二人の着物をどんどん売って、思い切りむだ使いして、ぜいたくな暮らしをしましょうよ。

『斜陽』太宰治より 

 

着物−−ではなく、今まで貯めていたアルバイト代と親や親戚からのお小遣いを思い切りむだ使いして、行きたかった場所へ行きたくなったのだ。

 

そして飛行機のなかで常に考えていたのは、自分が今どういった場所に居を構えているのかということだ。

 

島田雅彦の小説に『ニッチをさがして』という作品がある。銀行を追われたサラリーマンが漫画喫茶や廃車の中、河川敷などを転々としながら逃避行を続ける物語だ。

サバイバルな逃避行とは異なれど、私も彼のように様々な「ニッチ」を探し、転々と地球を転がっていた。

 

丁寧な暮らしを美とする場所、安く賢く生活することを美とする場所、富を配分する生活を美とする場所。汚い場所にも行ったしきれいな場所にも行った。

 

しかし、心は常に「ニッチ=居場所」である東京に想いを巡らせていた。

 

結論として、東京は、モノが溢れていて選択肢が多いことを美とする場所だ。

自分が今後「ニッチ」に何を求めながら生活していくのか。それが今回の旅で得た新しいテーマかもしれない。

 

2016/2 ポートランド備忘録

本来であればニューヨークに行くはずだったが、テロ予告のせいでやむなく断念。

代わりに前からずっと気になっていた西海岸・ポートランドを訪れることとなった。

また訪れたいと心から思える街だったので、次に来るときのために、またこれから渡航する人のために、特に面白かった場所を書き残しておく。

 

ポートランドのグルメ

 ご飯をひたすら食べるために行ったようなものかもしれない(少なくとも親からはそう思われていた)。
ボリュームのある皿を食べ続けたのでちょっとは太ったかと思いきや、むしろ痩せたのが驚き。菜食が多かったせいか、それとも食べ物を探して歩きまわったせいか。
本当は訪れた全てのレストランを挙げたいところではあるが、ここでは特に感動したところだけに留めておく。

 

  • LUCE

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美味しすぎて二回も訪れたイタリアン。 パスタの喉越し(?)が異様なまでに良く、もはや飲み物の域。つるんつるんのぷるんぷるんである。 どれだけ朝と昼のご飯が重くても一瞬で平らげてしまう。

ハーフサイズが選べるのもありがたい。

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↑1日目のウサギ肉のパッパルデッレ

臭みのない肉がごろごろ入ってる。

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↑2日目の牛肉・豚肉のタリアテッレ。

とにかく麺が薄い。平たい。ひき肉が歯ごたえあってジューシー。

 

ここの店の特徴は、チーズを嫌というほどふりかけてくれること。デフォで写真の通りだが、さらに追加でチーズを頼んでるおばちゃんもいる。「ポートランダーヤベェな」と。

日本でこの味を食べるにはどこに行けば良いのやら。LUCEのためだけにポートランドに行っても良いくらいである。店員さんもめちゃくちゃ優しかった。

なお、デザートにはあっさりした味のパンナコッタがおすすめ。

 

  • Sweedeedee

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ミシシッピアベニューをずっと北に進んで行くと突如現れる、まさに「朝ごはんがネ申」なレストラン。 お金を払ってグラノーラを食べることに抵抗があったものの(だって誰でも安く美味しく作れんじゃん)、雑誌やブログでやけに騒がれているためオーダーすることに。結果、大満足。全ての素材が優秀で、味のバランスも良い。

二回目はランチで訪れスープをオーダーしたが、やはり美味。サラダがシャキシャキしていて生き返る気分だった。ポートランドの野菜の味は濃い!

 

  • Little Bird

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ステイ先のおばちゃんが幸いなことに「食オタ」だった。

そんな彼女が勧めてくれたのがLittle Birdというお店だ。

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↑アサリのトマト煮込み。

お皿にドカッと盛られているアサリは肉厚でしっかりした味。ソースも濃厚なのでパンが進む。無言の戦いとなった。

なお、カウンターに座っているといろんな人が話しかけてくれるから楽しい。人類学研究のお兄さんや、ノブヒル(セレブなエリア)に住むご夫婦などなど。各々にオススメのスポットを教えて貰えた。お兄さんが食べていたハンバーガーもめちゃくちゃ美味しそうだった。

 

  • Petit patisserie

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アルバータストリートのど真ん中に位置する巨大なパン屋。 ふと前を通りかかったついでに夜食用のフルーツタルトを買ったところ、さっぱりしていてかなり身体に効いた。味を信用してそのまま別日の朝に再訪する。

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↑焼きリゾットのプレートをオーダー。

焼き目がザクザクしていて美味。付けあわせのかぼちゃとじゃがいもは甘みがあった。何よりもセットのクロワッサンが絶品。ボリュームがあるので朝兼昼のつもりで行くとよい。 ちなみに休日の朝は多くの人でごった返すので要注意。

空港にも店舗があったのは若干衝撃だった。ポートランド内で3店舗もあるらしい。

 

  • Porque no?

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店の雰囲気が最高に可愛いメキシコ料理屋。 店員のお姉ちゃんも最高に可愛かった。「何がオススメ?」という質問にも親切に答えてくれた。

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↑エビのタコスと豚ひき肉のタコス。

タコスはそこまで大きくないが、女一人なら2つで十分だった。 刻んだパクチーが中に入っていて、勢いよく食べないと悲惨な事故が起きる。 カウンター横にソースバーがあり、自由に味を試せる。 スパイシーな味の変化を楽しめるが、デスソースらしきものも紛れているので要注意(当たった。つらかった)。

  

  • Salt&Straw

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ポルケーノ(のソース)でやられた舌を治すために来訪した、アルバータストリートのジェラート屋。ノブヒルにも支店がある。 何種類もあるフレーバーをその場でテイスティングし、気に入った味をオーダーする。ラベンダー味とオリーブオイル味をチョイス。 口の中に入れた時の香りが最高。最初に甘みがガツンとくるが、後味はすっきりしている。 日本に来てくれればいいのに。まじで。

 

ポートランドのコーヒーと紅茶 

 サードウェーブコーヒー発祥の地である。ドープでヒップな街だ。
コーヒーはもちろん美味しいけれど、すれに加えて内装の素敵なお店が多い。

 

  • coava coffee

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ポートランドを訪れた人が皆「ここ、最高」と言うコーヒーショップ。 工場をリノベした店内はびっくりするほど広い。ライブとかできそう。 刺激がほとんど無くて、優しい味である。ガツンとしたものは無く、もはやスイーツの域。個人的に一番好きな味である。

 

  • Case study coffee

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こちらも空間が素敵なお店。ラテが濃密でもこもこだった。豆が、というよりも淹れ方が上手いなと。ちなみにアルバータストリート沿いのお店の斜め向かいには「バリスタ」もある。西と東の両方にお店がある。

  

  • Heart coffee

HPはこちら 

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コアバのライバル的な存在?

マイルドな方ではあるものの、コアバに比べると強めの味。

パッケージのデザインが可愛い。デザインは一番洗練されていると思う。ステッカーが可愛いらしいけど、見つからなかった…。天井が高くすっきりした店内が落ち着く。なお、豆がスーパーでは手に入らない。時々セレクトショップで取り扱っている場合もあるけど、それだったらちゃんと店舗で買った方が良い。なんかね。

 

  • Steven Smith’s Tea

HPはこちら 

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ステイ先のおばちゃんに教えてもらった、ポートランドでポピュラーな紅茶。

ティーバッグで淹れても香りが強く、時間が経っても渋みが無いのが特徴。

近所の適当なスーパーでも購入できるが、パールディストリクト北のちょっと辺鄙なところにファクトリー兼販売所がある。行ってみたところ、とても丁寧にお茶を淹れてくれた。幸せ極まりない。奥で製造しているところも見える。

日本では一部の地域で取り扱いがあるらしいが、なぜか僻地にしか置いていない。悔しい。

 

※おまけ

コーヒー・紅茶・チョコのおみやげを揃えたいならZUPANというスーパーへ行くのがおすすめ。 コアバやスタンプタウンなどのコーヒー豆だけではなく、Smithの紅茶なども売っている。あとはデリが充実しているため、ちょっと疲れているときに重宝。カットフルーツとカップスープで蘇生を図れる。

 

ポートランドの観光

 ポートランドは狭い。ちょっと気合を入れれば端から端まで徒歩で移動できる。それでいて飽きがこない。不思議だ。

そんな狭い土地の中にインドア系もアウトドア系も楽しめる施設があるのは嬉しい。膝がガクガクになるけど。


  • Washinton Park

超広い森林公園。動物園や日本庭園を内包する。

マックスに乗ると、ちょうど動物園の前で到着する。そこからバスが通ってはいるが、ぜひ車道から離れたウォーキングルートでハイキングしてほしい。ぬかるみがあるのでスニーカー厳守ではあるものの、かなり気持ちが良い。だいたい動物園から日本庭園まで30分ほどの距離だった。

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群馬の実家近くにあった散歩道に似てて、親近感が湧く山道である。

 

  • Oregon zoo

ディズニーランドのような作りの、広大な面積を持つ動物園。

面白いのが、他の動物がアフリカエリア、北極エリアなどに分けられているにもかかわらず、ゾウだけはなぜか「ゾウエリア」として独立して仕分けられている。ゾウが優遇されがち。

ハダカネズミのような地味な動物がちょこちょこいるのがいい。好感もてる。

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これはチュロス的な食べもの「elephant ear」。子供がよく親にせびっているので並んで試しに買ってみた。ナンを油で揚げてバターを塗り、シナモンシュガーをかけた感じ。カロリーの味がした。

 

  • Portland Art Museum

まさにポートランドの中心地に位置する美術館。アジア圏とインディアンの文化財に強い。が、この美術館の本気は別館の近〜現代美術エリアだと思う。リチャード・プリンス、ダミアン・ハーストフランク・ステラなど、錚々たる人々の作品を一気に見ることができる。美へのアプローチを総復習する感覚。特別展も面白かった。

あとは、モネ、ルノアールピカソゴッホらの「え、これ本物?」というようなマイナー作品をチェックできたりする。鼻血でそう。

 

ポートランドのファッション、雑貨

東側と西側でショップのテイストが違うのがポートランドの面白いところ。例えば、東側に古着屋、ヴィンテージショップが集中しているのに対し、西側はハイブランド、あるいは金フォーク系のライフスタイルショップが軒を連ねている。アウトドアグッズの店が多いのは東側だった。
 
  • animal traffic
 
ヴィンテージと新品を半々で扱う店。状態の良い古着が多く、デザインも面白かったりする。楽しい。
なお頑丈でおしゃれなナップサックを買うならここをおすすめしたい。壁一面にカバンがぶら下がっているので選び放題である。

 
  • flutter
サイトを見れば分かる通り、超絶ガーリーなお店。下北沢とかにありそう。一点モノのワンピースを多く扱っている。

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↑ハンドメイドのワンピース。60ドルは安い。
雑貨が多いので、お土産選びにもちょうどいい。

 
  • Beam&Anchor
 
ポルケーノの先をどんどん下っていき、環状線をくぐったところにある。アクセスは面倒だが、行く価値があるセレクトショップポートランドとその周辺で製作された質の良いグッズを、元倉庫の広い店内にズラッと並べている。
長く使えて経年変化を楽しめるような雑貨が多い。
 
  • alder & co.
 HPはこちら
花屋と雑貨屋が併設されている。まさにキンフォーク的なライフスタイルを過ごしたいならここ。ファッション雑貨から食器、家具までなんでも揃う。

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↑たまにこんな感じの気まぐれを発生させるため注意が必要だが、こういうところが大好き。
そういえば、ポートランドは花屋が多い。

 

考えたこと

Little Birdでハンバーガーを食べていたお兄さんの話によると、最近はロサンゼルス・ニューヨークなどの大都市から移住する人が多いという。特にここ5年ほどで人の動きが盛んになったそうだ。ライフスタイル文化が面白くなったのもその頃からだという。

お兄さんはこんなことを言っていた。「僕の住んでいるエリアは家賃が4年間で2倍に高騰した。それに耐えられずに引っ越す人もなかにはいる。どんどん高いビルが建設されていくから景観も変化していくだろう。

ただ、感性の研ぎ澄まされた人があちこちからやって来るのは面白い。街全体の文化水準が高くなっていくのを感じているよ」

また「日本だとどんな場所が楽しいの?」と聞かれたので「文化の生まれる場所は相変わらず東京。でも神奈川や長野、石川のように都心から微妙に離れているところがだんだん面白くなってきてるかも」と答えると、 「ニューヨークもそうだけど、だんだん中心部よりも郊外で面白い文化が発生してくるようになったよね。世界全体で、よりアウトサイドに人が移っていく流れが生まれている気がする」と。だいたい同意。

 

たしかにポートランドは日本でいうところの鎌倉のようなエリアだとは思った。人がのんびりしていて、余暇を楽しむ余裕があり、文化への感度の高い人が集まっている。そこから生まれるモノも面白いし。すごく好きな街だ。

でも、街に緊張感が無いので、あまりにも長くいると焦るだろうなとも感じた。ライフスタイルは最先端かもしれないけど、新しいものがあるかと言われると、無い。

平和すぎて刺激が無い。刺激に疲れた大都市の人間にはちょうどいい場所なのかもしれないけど。少なくとも自分にとってはまだ必要のない環境なのかもしれない。

セカンドライフ以降に移り住むか。

 

備忘録 2015

2015年は自分にゆとりがあったせいか「当たり」を引くことが多かった。

せっかくなので特に「大当たり」だと感じたモノをすごく雑にまとめる。

 

【粉砕されたアルバム:4枚】

#『SOUND AND COLOR』Alabama Shakes

これを抜きに2015年は語れない。

そしてライブ映像でヴィジュアルを見た時の衝撃たるや、筆舌に尽くしがたい。

 

#『POSITIVE』tofubeats

コラボレーションのラインナップ然り、Jポップへ振り切っている。90年代と10年代をバランス良く融合していることがツボ

インディー系が70年代、ロッキンがゼロ年代に向かうなか、新たなシーンを生み出す引き金となったアルバムだと思う。1stよりイイ。

 

#『Tuxedo』Tuxedo

「古き良き〜」が世界全体で流行っているのか、それとも自分が好むようになったのか。多分両方。

 

#『SAYONARA』SAKEROCK

表題曲、幾重にもわたる音の層に涙腺が負ける。

力を振り絞ったのが伝わる。名盤。

 

個人的には豊作。新作をガンガン聴けるApple Musicのおかげもある。

ライブもまたFKA Twigsに始まり、タイコクラブで観たロバート・グラスパーや京都音博の八代亜紀など「当たり」が多かった。そういえばマルチネ「天」も去年か。

 

なお、本格的にヒップホップにはまってしまった。

 

【沁みた美術展:3展】

#「岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ」

普段から岡崎教に洗脳されていたものの、展覧会に行ってから信仰が更に深くなったというかなんというか。古くならないなと思ってしまった。

 

#「われらの時代 ポスト工業化社会の美術」

金沢21世紀美術館にて。決して大きい展示では無かったが、美味しいところを的確に攻める姿勢が良かった。無駄がない。

特にスプツニ子と束芋の展示が記憶に残っている。

 

#「ウォルフガング・ティルマンス the body is yours」

大阪。待ってました。伸縮を繰り返しながら徐々に拡大していく視線と、連続する複数のテーマに操られる展示だった。そして手がけた仕事の多さにため息。

 

美術展は意外にも不作。足を運んだ割にあまりときめく展示が無かった…。

むしろ常設展にハマった1年だったかもしれない。直島の地中美術館は最高だった。

 

【痺れた映画:3本】

#『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

脚本も映像も役者もスターばっか揃えやがって…と歯軋りが止まらなくなる作品。

長回しの技術だけではなく、舞台の空間に馴染ませたBGMにも脱帽。全体的に舞台のルールをベースとした演出なのだと思う。観るたびに解釈が変化していくスルメ映画である。

 

#『野火』

視覚と聴覚を伝い、嗅覚や味覚にまで影響を及ぼす映画。血の味や火薬の匂いなど、主人公が受け取る全ての情報が流れ込んでくる。

終わったあと暫く放心状態が続き、直後に10°Barで酩酊。

 

#『WILD STYLE』

渋谷の再上映に乗っかる。80年代ヒップホップ黎明期における貴重な記録映像。神様(FAB FIVEとかグランドマスター・フラッシュとか)がドバドバ出てくる。

最後のライブシーンはクドいけど泣ける。

 

新作は16本。旧作は10本。トータル26本。

例年より観ている方ではあるものの、見逃した新作は数知れず。

年末にまとめて逃し分をチェックしようと思ったが、やはり今年もダメだった。

ちなみに期待との落差が最も激しかったのは『EDEN』

 

【エロすぎた食:5店舗】

#Kyotonese(京都ネーゼ)

バイトの元同僚・ゆかさんに教えてもらった京都の名店。

エシレバターを使ったパスタが泣けるほど美味しい。

 

#ぽんしゅ館

越後湯沢のサンクチュアリ。500円で塩を肴に日本酒5種の飲み比べができる。

ここで日本酒修行を終え見事開眼。日本酒依存になる。

 

#川福

うけさんの紹介により高松で食べた。たしかにうどんは生き物だった。

私は貝よりもむしろうどんになりたいと思った。余談ながら五反田のおにやんまも美味しい。

 

#大木屋

日暮里の名店。ものすごく大きい肉の塊を焼いてくれる。美味。

完全予約制&少人数お断りのため、直前にめちゃくちゃ人を集めようとした記憶がある。

 

#某池袋の焼き鳥屋

初めて焼き鳥の美味しさを知った場所。

美味しすぎて紹介したくないため名前は控えますが「ちょうちん」というメニューがツボ、とだけ。

 

この一年で何が一番鍛えられたかと聞かれたら「舌」と答えると思う。

いかに関西のレベルが高いかを知った。

ただ越後湯沢も香川も一人旅だったので、もう一人くらいいればもっと面白いとこ行けたんかなあとも。付き人を募集。

 

【新しい活動:4つ】

#編集者バイトのチーフになる 

 菅付雅信さんのもとでアシスタントを始めて3年目に突入し、仕事が急増する。

毎月の連載と特集などに追われた1年だったが、一番近い距離で編集の仕事を見ることができた。ちなみに史上最凶のハードモード期間は10月末〜11月初頭だった。

 

#Webメディアに関わる

このバイトを始めたおかげで、Webにおける「読者の顔」が見えるようになった。そしてジャニーズやK-POP西野カナをしっかり聴くようになった。Web広告に興味をもったきっかけでもある。

 

#ライティングのお仕事をいただく

記者会見に行って即日入稿したり、短期間で大量の文章を校正したりするなど、速さを求められる仕事が多かった。

しんどいがしかし、楽しい。

 

#中夜祭をやる

広報を担当。自分がまだ学生だったことを思い出すきっかけだった。

ネジが数本外れた一ヶ月だった。

 

就活も学校も終えたので、バイト三昧の1年だった。

ただ心残りがあるとすれば、もっと色んな会社と仕事をしたかった。

 

【総括と今年の目標】

日々押し寄せてくる情報の渦にのまれかけながら「コレだっ!!!」と狙いを定め、時々不味いものを噛みつつも次の獲物を狙う1年だった。

今年は去年以上に多くの獲物を狙っていきたい。あと、強いて言えば色気が欲しい。

 

同じ絵を15分見続けるんです

夏休み、国立近代美術館の学芸員さんの下で勉強会を行った。180分現代アート漬け×3コマという濃密プラン。拙いプレゼンの足りない部分をバッキバッキに補足していただいた。頭が上がらない。

 
先日、最終講義ということで色んな質問に答えてもらった。
例えば「なぜベーコンの絵に惹かれたのか」や「なぜ学芸員になったか」など。先生はひとつひとつの質問に、丁寧に答えてくれた。
その中でも印象的だったのは、「アートを本当に理解しているか分からない、どのような見方が正解なのか」という質問への回答。「正解というものはないけれど」と前置きした上で、先生の答えはズバリ、こうだった。
 
「一回の展覧会のなかで、15分間同じ絵だけを見続ける習慣をつけてみてください」。
 
例えば、私はアートを鑑賞するときに「あー、これはあの理論を使ってんだな」とついパターン化して観てしまっていた。「満足感が続かねぇ…観た気がしねぇ…」というのが目下の悩みだったが、この「パターン化現象」も、やはり原因は鑑賞時間が短いせいだという。大事なのは「理論に囚われず、ひとつの作品からどれだけ多くの発見を導けるか」ということらしい。タシカニー、タシカニ。
 
現代アートは、制作の背景を読み解くことに意味がある。そこにそういった表現がある以上、何かしらの伝えたいことがある」と先生は続けた。パッと見の判断でそれら伝えたいことを理解することなんてできるわけがないのだ。
 
勉強会の後、試しに15分同じ絵を見続けてみた。かなりキツイ。しかし、隅から隅まで舐めるように観ることで、今まで気づかなかった筆跡や色の混ざり具合など、細かい情報が少しずつ頭に入ってくる。自分の固定観念は、時間をかけてぶち壊せばいいのだな。
 
私にとって美術館とは整体院のようなもので、歪んだ骨盤を矯正してくれる場所だ。毎月通っていないと何となく身体が鈍るので、今までの下手くそな鑑賞方法ながらも何かしらの得ているものはあったのだろう。ただ、核心の本当に凝り固まっているところは刺激されていなかったのかもしれない。
 
勉強会で痛いツボをグイグイ押されたので血流が良い。濁らないうちにまた整体に行かねば。